鈴木勇治先生を講師に招いて、第3回土曜サロンが7月6日に学習ルームにて行われました。今回は、「日本語の来し方行く末」と題し、日本語誕生からの成立過程を「万葉集」、「古今和歌集」を例に解説しながら講座が始まりました。
まず、二つの新聞記事が記載された資料が配られ、感想を求められました。一つ目の記事は、「平井科技相カタカナ会議連発(平成31年3月19日中日新聞)」、二つ目は、「竹内さんエドガー賞候補(平成31年1月24日中日新聞)」です。前者は、平井卓也科学技術担当相が片仮名をふんだんに用いた名称の会議を次々に設置し、周囲を困惑させているという記事。後者は、北海道大学大学院の竹内康浩教授の英語で書き下ろした著書がエドガー賞評論・評伝部門の候補に選ばれたという記事でした。一方は、英語を意識するあまり片仮名を連発し、意味も内容もはっきりしないという現象が生じ、もう一方は、英語による著書であったため米国で認められたという対極的な内容でした。この問いをきっかけに鈴木先生は、「英語」が「普遍語」になるまでの過程を言語の力の序列という視点で説明されました。小さな部族での通用語(現地語)>民族や国家での流通語(国語)>民族間や国家間での流通語(普遍語)という力関係です。外来語が蔓延るようになった現在、このままでは日本語が亡びるのではないかと日本語の行く末を案じて後半の四方先生へバトンタッチしました。
四方先生からは、別の視点から普遍語について述べられました。医学がドイツ製であった時代はドイツ語が医学の普遍語。バレーはフランス発祥であるからフランス語がバレーの普遍語。オペラや声楽がイタリア製だからイタリア語が声楽・オペラの普遍語である。現実には、言葉の持つべき「性能」対「コスト」で普遍語が決まる。しかし、それぞれの言語に強み弱みがある。例えば、西欧語と日本語を対比してみると、日本語は敬語が発達していて主語を省くことができる強みがある。西欧語では完了形・仮定形など時制が発達しており、話し手の心の中の時間の経過を細かく表現できるなどである。しかし、誰だって簡単に話したい、読みたいと思っている。その点、日本語は母音が5個、子音は10個、さらに子音と母音はくっついているため、聞き取りにはとても便利である。また、漢字と仮名の二つを混ぜて使うため意味も一目で分かりかつ読み易い。言葉の持つべき「性能」対「コスト」のどれを優先させるかは目的と時代によって変わるものであり、言いたいことが十分言え、ちゃんと伝わるかの視点から見れば日本語も捨てたものじゃないと締めくくりました。
最後に、「超普遍語」は存在するか?について、「芸術」、「音楽」、「数学」が候補に挙がりました。
注)「超普遍語」地球規模を超えたコミュニケーションの方法
次回の土曜サロンは,9月28日に行われます。