第6回土曜サロンが11月9日に行われました。今回のテーマは「インドから西へと流れる学問」です。担当の梁川先生から、「突然ですが、6世紀頃に数学にとってとても大きな出来事がありました。さて、何でしょう?」という問題提起から始まりました。班ごとの意見交換の結果、「インドで0が発見された」という意見が出ました。さらに「0の発見は何故インドだったのだろうか?」と問いが続き、議論が展開されました。この段階では、哲学の話や宗教の話まで様々な意見が飛び交いました。結論をまとめる前に、講師の先生から数学の成り立ちを数学史に従って説明がありました。「数学は、土地の測量や神殿、ピラミッドなどの建造物を作ることで発達し、古代ヨーロッパ人は、数を形のあるものと捉えられていた。」、「中でも特にアリストテレスは、空虚や無限の概念をとても嫌っていた。何もないことを表す0という数字は空虚を嫌う彼の哲学とは相性が悪かった。」、「さらに、アリストテレスはアレクサンドロス大王の学問の師匠であり、彼の教えはヨーロッパ全土に根付いていたために、インドに先を越されたのだ。」。確かに哲学や宗教の影響が関わっていたことを知りました。
「では、インドで発見された0が世界にもたらしたものは何か?」。生徒からは、シルクロードを渡ってヨーロッパへと数学が発達し、イギリスの産業革命につながったとの意見が出ました。まさに、イスラム帝国におけるアラビア数学が、近代科学の急激な発展につながり、物理学との融合を経て産業革命へとのストーリーが共有されました。現代のIT化の流れも含めて、小学校から高校までの教科書で学習する数学(学問)の内容は、確かにインドから西(ヨーロッパを経由してアメリカ、日本)へと流れていく様子が確認されました。
最後は四方先生によるまとめです。「イギリス産業革命の産物として、蒸気機関や電気が発明され飛躍的に文明が発展してきた。そして、航空機や自動車の登場である。」、「アメリカ3大自動車メーカーに象徴されるように自動車産業やコンピューターにおける情報技術は、ヨーロッパから西の方向にあるアメリカへとシフトしていった。」、「しかし、環境問題や諸々の技術革新において自動車メーカーとして生き残ったのは、さらに西に位置する日本である。」と締めくくりました。
また、自然数の計算(インド・アラビア)から微分積分(ヨーロッパ)へ、更には情報とプログラミング(アメリカ)と確かに西へと数学の世界が流れているのが分かります。
次回の土曜サロンは、12月7日。テーマは「バッハは数学がお好き」です。